近況報告 2026年1月31日

● いつの間にか午(うま)年を迎えました。年明け一か月の間に、鳥取・島根の震災、米国によるベネズエラのマドゥーロ大統領拉致事件、高市首相による衆議院冒頭解散等と立て続けの出来事で、どうやら「暴れ馬」の年になりそうです。

米国は中間選挙の年ですが、トランプ大統領は国内政策ことに物価対策のいきづまりもあって、矛先を移民や他国に向けており、「西半球防衛」のためと称するグリーンランドの領有主張では、同盟国である欧州を敵にまわし、かえってロシア、中国を利する始末です。父親から何をすり込まれたのか分かりませんが、大統領になることが夢だったにしては、不動産業の取引き(deal)思考の枠を超えないもので、彼の「理念」というものがみえてきません。もっともTACO(Trump Always Chickens Out)と呼ばれ、彼は言うことを直ぐに変えるようなので、各国は、彼の一言一句に振り回される必要はなさそうです。また念願の「ノーベル平和賞」をねらう割には、ロシアのプーチン大統領、イスラエルのネタニヤフ首相等、独裁者寄りばかりで、他国の「領土」も「単なる不動産」にしかみない「戦争ごっこ」「平和ごっこ」に終始しているようにみえます。

執筆途上の論文の検証命題に「トランプ政権は、エネルギー安全保障上リスクか?」と挙げていますが、少なくも中間選挙までは予感が当たる気がしています。

● 日本の政局をみると、まず直近の選挙で石破自民党が議席を減らしたのは、自民党が、統一教会・勝共連合との選挙動員を含めた深い関係、パーティー券等をめぐる不透明な政治資金の会計処理という二大汚点に決着を付けられなかったせいで、石破首相個人の問題ではなかったのです。このうち統一教会問題は、連立政権を組んでいた公明党が、支持基盤の創価学会への配慮もあって、宗教団体にメスをいれるのにブレーキ役になっていたのです。この点、今回自民・公明の連立政権が解消されたことは、歓迎すべきことです。

そもそも公明党は、「公明政治連盟」の名で参議院選挙においてスタートした政治団体です。選挙管理委員会は、長年「公明正大」由来の『公明選挙』のスローガンを用いていましたが、「公明」と名乗る政治団体登場のために、スローガンを変えざるを得なかったのです。「我々は政権取りが目的では無いため、参議院選挙のみで、衆議院には出ない」との触れ込みでしたが、大学3年の夏、カトリックのサークル(その後、福音派教会で受洗のため疎遠)合宿で、「公明は、参議院にとどまらず必ず衆議院に進出する」と断言しましたが、予言的中でした。「反自民非共産」の旗印のもとでの新党結成時には、公明党は既存政党の解党・再編を主張し、その言葉を信じ民社党は完全に解党しましたが、公明党はちゃっかり生き残り、揚げ句の果て「転向」して自民党との連立政権入りで大臣ポストを確保し続けたのです。しかも世の中から忘れられていますが、(私も購読していた)民主社会主義研究会議の機関誌が、創価学会・公明批判の特集を企画したところ、ゲラ刷りの段階で大手銀行経由で印刷・出版に圧力が加わったことがありました。自民党の田中角栄、公明党の竹入、民社党の春日の3者の手打ちにより、この言論弾圧事件は幕引になりました。支持者からの購読ボイコットをおそれ、一般紙は本件をいっさい報じなかったのですが、赤旗のスクープ記事となり、それ以後、公明・共産両党が、犬猿の仲になったのです。なお政治評論家の藤原弘達氏は、事件当時「[上記に関与した政治家3者は]将来、絶対に総理大臣にしてはならない」と息巻いていたのですが・・・。

● 世論調査では高市首相は人気だそうです。しかし、早い話、生活密着の米価についていえば、石破政権で、小泉農相が米作及び米価の改革を始めようという矢先に、高市政権は守旧派の若手を起用しました。この人事は、党内および支持団体との「力学」からは説明できても、庶民には理解出来ません。加えて統一教会との関係が深く、おまけに政治資金不記載の安部派H氏の重用人事は、選挙で再選され「禊(みそぎ)は済ませた」との口実で納得できるものではなく、地元選挙区だけで「禊(みそぎ)」というのは、選挙区外の庶民からすれば論理の飛躍です。

● 「衆議院選挙」といえば選挙区が中選挙区から小選挙区プラス比例に変わって久しいですが、中選挙区時代の同一選挙区における政党内競争が失せて、市議会議員に毛のはえた程度の溝板(どぶいた)選挙的候補者が増大し、「天下国家」を論じる者が以前よりも減少しつつあるようにみえるのは、嘆かわしい限りです。

[巣ごもり通信]

● 先便で述べた手術の影響で(ステントを通した)右足の付け根の痛みが残っていますが、昨年11月頃、思いきって控えていた一部の自衛隊体操(体育学校推奨準備体操及び陸自・空自・自衛隊体操)を復活させました。もっともこのところの寒さで依然痛みは感じますが、何とか体操セットに織り込んで、毎日30~40分程度を1〜2回こなしています。

COVID 19(オミクロン株)の影響もあってか、手術後の定期服用薬による不具合、具体的には(毎日ではないものの)胃痛、朝昼夜を問わない眼気のことですが、まだ克服できていません。バナナを朝昼から夕刻にまわしてからは、胃痛の頻度はやや減少傾向にあります。眠気は困ったもので、随筆や時事評論ならば「朝飯前」で執筆可能ですが、論文執筆再開には至っていません。

元の体調には戻らないものと観念して、体調万全とはいかなくとも、うまくつきあっていきたいものです。

● 上記の次第で、昨年下半期以降の執筆は、恒例の第一法規の加除式逐条地方自治法の追録の執筆・校正くらいのものです。

● 東京コミュニティ財団の助成委員会は、続けています。原子力発電環境整備機構(NUMO)の情報公開等適正化委員会は、開店休業状態です。

● ところで昨年9月は熱波・炎暑で日々やっとの思いでしたので気付かなかったのですが、1970年4月、神戸大学大学院から慶應義塾に戻ったのと全く同じ時期に京大助教授から裁判官に転じた園部逸夫先生の葬儀があったことを今年になってから知りました。園部先生とは、南博方編『注釈行政事件訴訟法』(有斐閣)の当事者訴訟の項を共著として執筆させて戴いたこと、さらに園部先生は岐阜出身で神戸大学時代指導載いた山田幸男先生と同郷とか、またColumbia Law School日本人会の会長といった御縁もあって、親しくさせて戴きました。1992学年度にColumbia Law Schoolで在外研究しましたが、出発前に園部先生から、学内で教員が拳銃で撃たれた事件があったと、ちゃめっけたっぷりに脅されたことがあります。いわゆるLaw School構想をめぐって議論活発な折に「シンガポールに英語で教育するLaw Schoolを」とのアイデアを披露すると、園部先生から「この人は進み過ぎている」とのコメントを頂戴しました。さかのぼること1971年11月のことですが、銀座で映画「警視の告白」をご一緒させて戴いたあと、「今度、京都出張」とお聞きし、同月下旬の神戸での結婚披露宴にお招きする了解を得たのが昨日のことのようです。ちなみに披露宴にご出席戴いた仲人の山田先生はじめ石川忠雄(当時学部長)・金子芳雄・石川明の各先生はいずれも逝去され、園部先生が最後でした。

● コミュニケーション手段の多様化によって近年とみに賀状交換が低調のところへ「賀状仕舞い」まで加わり、年賀状交換の枚数は遂に百通前後に減少しました。年一の消息交換までなくなるというのは、寂しい話です。

● COVID 19や体調管理上、通院と必要最小限の買物を除く「巣ごもり」をいまだに解除していないため、ゼミOB会は、2019年を最後に途絶えています。ゼミ卒業生からは、昨年あたりから、個人的に、また賀状で、OB会の開催を望む声が聞こえてきています。さすがにCOVID 19は落ち着いてきましたが、ニパウイルスとまでいかなくともインフルエンザ級の感染症が途絶えないのは否定出来ません。恐らくは玉手箱の白煙をあびた「浦島太郎」以上に容貌が変化してはいますが、まずは実験的に小規模クラスの会合から再開してみてはと思い始めています。

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