近況報告(2012年12月2日)
師走に入りAdvent(降臨節)を迎えました。藤原研究会(藤原ゼミ)卒業生の諸君、お元気ですか。古稀(再来年2014年1月)も間近ですが、定期健康診断の結果もまずまずで、元気にしています。
7月17日(火)、旧友の日本大学法学部・大学院の野木村忠邦教授のご厚意により第一部・(4月の欧州出張の情報等をもとに)欧州からみたわが国エネルギー市場、第二部・東京電力料金問題の二部構成で大学院特別講義を担当しました。いずれ折をみて日大の紀要に講義録をかね「3・11以後のエネルギー法」について論文執筆の予定です。このところ「老前整理」ではありませんが、省エネルギーのための冷蔵庫買い直しに際し、古冷蔵庫の搬出・新冷蔵庫の搬入のため、書斎・書庫・応接間はおろか玄関・廊下にまではみ出した書籍・書類の応急片付けにあけくれ、論文作成は目下停止状態です。
12月15日(土)午後、「行政判例研究会」で現職最後の報告として、最判平成23年10月14日判例時報2159号53頁を扱います。昨年同様情報公開の裁判例で、法5条2号イ(法人情報)及び同号ただし書(公益的開示)が争点です。環境情報といっても、もっぱら省エネルギー及び地球温暖化防止の話なので、川崎市の公文書公開審査会委員在任中に扱った在来型の公害情報案件とは大きく異なると思われます。審査会当時、扇島連絡協議会の事案では、数回の日曜出勤もまじえながら、膨大な公文書を前に、有価証券報告書の記載等と比較しながら格闘したことや、別事案の口頭意見陳述の際に公害病認定患者の生の声を聞いたこと等、鮮明に思い起こされます。思いで話はともかく、私にとって「余り文献もなく自分の直感だけで勝負できる」というのが理想的な判例評釈ですが、本日ちらっと文献をみたところ、今回ばかりは関連判例研究文献が多く、これら先行業績に何かを付加するのは大変そうです。
以下、本年下期の海外調査出張、国内出張、審議会等活動、カラオケの順に近況を報告し、最後に明年の計画を披露します。
1. 海外調査出張
1.1. 旅程
明治学院大学・現職最後の出張として、11月19日(月)から欧州に出かけました(帰国は26日)。近時は割高の日系及びルフトハンザを避けKLM等でしたが、慶應生協から「この時期限定」ANA格安航空券を勧められ久し振りにANAに搭乗しました。往路の機内でAKB48の(トモチン脇役の)「ギンガムチェック」のメロディーが何故か頭を離れず、機内ヘッドホンのベートーヴェンでやっと打消しました。
21日(水)ボン大学Prof. Schmidt-Preußと研究室での意見交換、昼食ののち、教授の案内で連邦ネット規制庁(Bundesnetzagentur。英語名Federal Network Agency。以下「BNA」という)のエネルギー規制担当のFranke副長官(Vice President)と面会しました。BNA訪問は今回が初めてではなく、総務省の調査団で情報通信部門を訪問したことがあるほか、本部から離れた市内の小さな雑居ビル仮住まい時代のエネルギー部門に2度訪問したことがあります。副長官の次の予定との関係で、概要説明のあと教授との質疑が主でした。副長官は、翌々23日(金)ケルン大学エネルギー法研究所年次大会(会場は恒例マルティム・ホテル)の報告者で、両日のプレゼンテーション及び質疑応答により、現時のドイツの問題点をよく理解できました(ケルンで副長官とはプレゼン終了時と、昼食後退席時の二度握手を交わしました)。21日夜は、教授宅で夫人の手料理をご馳走になりました。
22日(木)は「エネルギー分野の競争法会議」(英語)に出席のためブラッセルに日帰りしました。ケルンから特急で片道2時間といいながら9時過ぎ開始の会議に間に合わせるにはケルン6時44分の特急に乗車の必要があり、ボンからケルンへの接続は(フランクフルトからライン沿いの特急は、近時ボンをバイパスする鉄道ルートが主流のせいもあって)必ずしも良くなく、ボンを6時前に発ち、かなりの強行日程でした。報告者に旧知のMs. Prof. Hancher(オランダ)の顔がありました。質疑で盛り上がるということはなかったものの、プレゼンは総じて資料的にも有意義なものでした。
23日のケルン大学エネルギー法研究所年次大会(ドイツ語)では、Prof. Baur(元・所長。現・弁護士事務所オフ・カウンセル)、RWEのBöwing、元ルアガス長老のDr. Bentzin(現・弁護士事務所オフ・カウンセル)、4月訪問時にはルアガスだった Dr. von Burchard(同上)らと再会できました。
Schmidt- Preuß教授とは、23日ケルンで再会のほか、24日(土)宿泊先のボン中央駅から徒歩数分のホテル・レジデンスで夕食をともにしています。夫人抜きですから「Your Wife is angry, because of hungry」と冗談を申したところ「女房は明日誕生日で、招待客の準備に追われている」とのことでした。
1.2. 感想
わが国では、東京電力福島第一原子力発電所事故を契機に、電力自由化論が再燃し、九電力会社の送配電部門の(発電及び電力販売部門からの)分離論(unbundling)も争点の一つです。ドイツでは、一足先に法的分離(Legal unbundling)を経験し、現在は所有分離又はITO(持株会社内での独立送電機関)の選択肢について、BNAの認可を受ける段階にあります。認可保留の事例があるものの、目下の関心は、相変わらずの再生可能エネルギー法(EEG)に加えて、冬場の電力危機対策にあります。南ドイツの再生可能エネルギーは圧倒的に太陽光発電で、農家の納屋にまでソーラーパネルがひきつめられるほどですが、「福島」以降原子力発電所停止が響き、冬場(暖房用)の深刻な電源不足をどうカヴァ-するか大問題です。ガスの供給もタイトで、ガス発電に頼るわけにもいかないので、再生可能エネルギーでも北ドイツの風力が期待されます。電力不足時の新規電源確保(入札を想定しているが、電力不足時のみの運転という条件下で採算に乗るものか、私は個人的には極めて懐疑的)、国内送電線の増強というインフラ投資が最大の課題です。送電線設備投資に関し新法によってBNAが権限を手に入れ、副長官は「近々BNA内に送電線投資専門の部門を立ちあげる」と鼻息が荒かったのが印象的です。図式的にいえば、電力自由化以前はドイツの電力市場を牛耳っていた規制者は、連邦及び州経済省と連邦カルテル庁でしたが、自由化後、(送電ネットワークへの接続条件や託送料監視からスタートした)BNAに今回インフラ投資に関する権限が追加されたことにより、連邦カルテル庁が主役の座を降り、BNAにとってかわられたといっても過言ではなさそうです。
1.3. 町の様子
街にでるとAdvent(降臨節)真近だったこともあり、いずれの町もマルクト(いちの立つ広場)界隈は、クリスマス市の準備の真っ最中でした。ボンのマルクトに面したレストランEm Höttcheの店内飾りつけにサンタの帽子をかぶったベートーヴェン胸像があり、モーツアルト・ファンの私も、思わず携帯電話カメラのシャッターを押しました。
1975~1976年家族とのケルン滞在のうち後半暮らしたEhrenfeldを歩きました。「エネルギー法」研究の啓示を受けた聖フランシスコ病院は昔ながらのたたずまいです。住まいは戦災で焼け残った古アパートで、今回、周囲は新しく建て替えられています。隣のアパートを含む2軒だけがボロ・アパートのままひっそり残され、懐かしさよりむしろ、何ともいえない寂しさを感じました。ケルン中央駅を通る市電5系統の路線はそのままですが、Takuplatzの停留所は廃止されていました。
2. 国内学会出張
2.1. 租税法学会
10月14日(日)「租税法学会」のため名古屋に日帰り出張しました。シンポジウムは「リスクと税制」という興味深いタイトルです。強引に法と経済学のリスク論を震災・津波にも適用しようという試論の報告があり、発言用紙に同報告への質問のほか、「上記モデルが妥当するのは限られた条件下であって、その妥当領域は限定されるのではないか」とコメントを書き添えました。ところが司会者から「発言は質問だけ」と釘をさされ、肝心の論点は封印されたまま終わりました。
総会で会費大幅引上げが決まりました。会員名簿管理と開催通知の事務委託だけのために学会支援機構に会費の主要部分を吸い上げられる状況も聞かされました(理事当時の記憶では、日本公法学会も同様のはずです)。明年4月から完全年金生活ですが「生涯現役研究者」を続けるための研究費(書籍購入・出張旅費・学会費等)全額年金から自弁のため、限られた原資の使途の吟味が重要です。
租税法研究者にとって学会誌込みの会費は魅力的でしょうが、私のような外様にとり、毎年送付される学会誌の自宅収納スペースを考えると善し悪しです。加えて本年改訂の租税法判例百選執筆から外れ「戦力外通知」を受けました。そこで、創設以来の会員ながら、明年3月の明治学院大学退職を機に「退会」を考えています。
2.2. 日本経済法学会
10月20日(土)甲南大学での「経済法学会」のため大阪に二泊しました。学会では、個別報告で一件、行政法からのコメントをしました。シンポジウム「企業結合」では、ゲスト・コメンテーターの東京大学の大橋弘教授に、市場のダイナミズムに対して経済的分析をどう機能させるかについて質問しました。大橋教授には、エネルギー、情報通信等の勉強会で幾度か顔をあわせており、経済学モデルに拘泥しないその客観的で冷静で柔軟な分析にはいつも感銘を受けています。本日付の日本経済新聞1及び27面によれば、大橋教授が「第三回円城寺次郎記念賞」を受賞されたとのこと、まことに喜ばしいことですし、まさに当然の受賞だとも思います。
3. 審議会等活動
旧郵政省時代からの情報通信審議会及び情報通信行政・郵政行政審議会の専門委員を継続しています。前者は明年1月任期更新の内示を受けています。高レベル放射性廃棄物最終処分事業の「原子力発電環境整備機構」情報公開等適正化委員会は、開店休業が続いています。それ以外のエネルギー関係の審議会等は、相変わらず無縁です。従来からの研究会に加え、公益事業学会(理事。元・副会長)の公益事業政策研究会(主査・一橋大学山内弘隆教授)に加えてもらい、電力自由化の最近の動向を勉強しています。
4. カラオケ
10月の経済法学会出張の折に大阪で2夜カラオケに行き、従前の持歌のほか、芦田愛菜「雨に願いを」(=日テレのドラマ主題歌)、板野友美「十年後の君へ」、AKB48「ヘビー・ローテーション」「エブリデイ・カチューシャ」「上からマリコ」「フライング・ゲット」、NMB48「ナギイチ」、西野カナ「たとえ どんなに・・・」「私たち」、長淵剛「ひとつ」、きゃりーぱみゅぱみゅ「ツケマツケル」等、新たに仕入れた曲を披露しました。
5. 明年の計画
明2013年3月、69歳(68歳定年プラス1年)にて明治学院大学を退職します。とりあえず在職中は授業・試験・採点等のあと研究室退室のための片付け作業があります。まだまだ若者に議論でも負けませんが、本日現在、いずれの大学からも来年度授業の依頼はありませんので、このままいけば、4月以降教壇に立つことはなくなります。「4月以降何をするの?」。ドイツでProf. Schmidt- PreußやDr. von Burchardからも質問を受けました。自宅「老前整理」を継続しますが、派手に散らかしているので、1年やそこいらでは完了しません。とはいえ片付けばかりでは頭がぼけ面白くないので、そのかたわら、明年前半は、急ぎの宿題(斎藤教授献呈論文、学位審査等)片付けに注力します。明年後半あたりから、そろそろライフワーク「3・11以降の日本エネルギー法」に着手します。当面のテーマはアンバンドリング論。主として電力をとりあげ、比較法・制度・政策に経済・社会・政治的分析も加えた総合的研究をイメージしています。このテーマだけでも目鼻がつくのに3~5年はかかるとみています。
「では、良きクリスマスと新年をお迎え下さい」。
7月17日(火)、旧友の日本大学法学部・大学院の野木村忠邦教授のご厚意により第一部・(4月の欧州出張の情報等をもとに)欧州からみたわが国エネルギー市場、第二部・東京電力料金問題の二部構成で大学院特別講義を担当しました。いずれ折をみて日大の紀要に講義録をかね「3・11以後のエネルギー法」について論文執筆の予定です。このところ「老前整理」ではありませんが、省エネルギーのための冷蔵庫買い直しに際し、古冷蔵庫の搬出・新冷蔵庫の搬入のため、書斎・書庫・応接間はおろか玄関・廊下にまではみ出した書籍・書類の応急片付けにあけくれ、論文作成は目下停止状態です。
12月15日(土)午後、「行政判例研究会」で現職最後の報告として、最判平成23年10月14日判例時報2159号53頁を扱います。昨年同様情報公開の裁判例で、法5条2号イ(法人情報)及び同号ただし書(公益的開示)が争点です。環境情報といっても、もっぱら省エネルギー及び地球温暖化防止の話なので、川崎市の公文書公開審査会委員在任中に扱った在来型の公害情報案件とは大きく異なると思われます。審査会当時、扇島連絡協議会の事案では、数回の日曜出勤もまじえながら、膨大な公文書を前に、有価証券報告書の記載等と比較しながら格闘したことや、別事案の口頭意見陳述の際に公害病認定患者の生の声を聞いたこと等、鮮明に思い起こされます。思いで話はともかく、私にとって「余り文献もなく自分の直感だけで勝負できる」というのが理想的な判例評釈ですが、本日ちらっと文献をみたところ、今回ばかりは関連判例研究文献が多く、これら先行業績に何かを付加するのは大変そうです。
以下、本年下期の海外調査出張、国内出張、審議会等活動、カラオケの順に近況を報告し、最後に明年の計画を披露します。
1. 海外調査出張
1.1. 旅程
明治学院大学・現職最後の出張として、11月19日(月)から欧州に出かけました(帰国は26日)。近時は割高の日系及びルフトハンザを避けKLM等でしたが、慶應生協から「この時期限定」ANA格安航空券を勧められ久し振りにANAに搭乗しました。往路の機内でAKB48の(トモチン脇役の)「ギンガムチェック」のメロディーが何故か頭を離れず、機内ヘッドホンのベートーヴェンでやっと打消しました。
21日(水)ボン大学Prof. Schmidt-Preußと研究室での意見交換、昼食ののち、教授の案内で連邦ネット規制庁(Bundesnetzagentur。英語名Federal Network Agency。以下「BNA」という)のエネルギー規制担当のFranke副長官(Vice President)と面会しました。BNA訪問は今回が初めてではなく、総務省の調査団で情報通信部門を訪問したことがあるほか、本部から離れた市内の小さな雑居ビル仮住まい時代のエネルギー部門に2度訪問したことがあります。副長官の次の予定との関係で、概要説明のあと教授との質疑が主でした。副長官は、翌々23日(金)ケルン大学エネルギー法研究所年次大会(会場は恒例マルティム・ホテル)の報告者で、両日のプレゼンテーション及び質疑応答により、現時のドイツの問題点をよく理解できました(ケルンで副長官とはプレゼン終了時と、昼食後退席時の二度握手を交わしました)。21日夜は、教授宅で夫人の手料理をご馳走になりました。
22日(木)は「エネルギー分野の競争法会議」(英語)に出席のためブラッセルに日帰りしました。ケルンから特急で片道2時間といいながら9時過ぎ開始の会議に間に合わせるにはケルン6時44分の特急に乗車の必要があり、ボンからケルンへの接続は(フランクフルトからライン沿いの特急は、近時ボンをバイパスする鉄道ルートが主流のせいもあって)必ずしも良くなく、ボンを6時前に発ち、かなりの強行日程でした。報告者に旧知のMs. Prof. Hancher(オランダ)の顔がありました。質疑で盛り上がるということはなかったものの、プレゼンは総じて資料的にも有意義なものでした。
23日のケルン大学エネルギー法研究所年次大会(ドイツ語)では、Prof. Baur(元・所長。現・弁護士事務所オフ・カウンセル)、RWEのBöwing、元ルアガス長老のDr. Bentzin(現・弁護士事務所オフ・カウンセル)、4月訪問時にはルアガスだった Dr. von Burchard(同上)らと再会できました。
Schmidt- Preuß教授とは、23日ケルンで再会のほか、24日(土)宿泊先のボン中央駅から徒歩数分のホテル・レジデンスで夕食をともにしています。夫人抜きですから「Your Wife is angry, because of hungry」と冗談を申したところ「女房は明日誕生日で、招待客の準備に追われている」とのことでした。
1.2. 感想
わが国では、東京電力福島第一原子力発電所事故を契機に、電力自由化論が再燃し、九電力会社の送配電部門の(発電及び電力販売部門からの)分離論(unbundling)も争点の一つです。ドイツでは、一足先に法的分離(Legal unbundling)を経験し、現在は所有分離又はITO(持株会社内での独立送電機関)の選択肢について、BNAの認可を受ける段階にあります。認可保留の事例があるものの、目下の関心は、相変わらずの再生可能エネルギー法(EEG)に加えて、冬場の電力危機対策にあります。南ドイツの再生可能エネルギーは圧倒的に太陽光発電で、農家の納屋にまでソーラーパネルがひきつめられるほどですが、「福島」以降原子力発電所停止が響き、冬場(暖房用)の深刻な電源不足をどうカヴァ-するか大問題です。ガスの供給もタイトで、ガス発電に頼るわけにもいかないので、再生可能エネルギーでも北ドイツの風力が期待されます。電力不足時の新規電源確保(入札を想定しているが、電力不足時のみの運転という条件下で採算に乗るものか、私は個人的には極めて懐疑的)、国内送電線の増強というインフラ投資が最大の課題です。送電線設備投資に関し新法によってBNAが権限を手に入れ、副長官は「近々BNA内に送電線投資専門の部門を立ちあげる」と鼻息が荒かったのが印象的です。図式的にいえば、電力自由化以前はドイツの電力市場を牛耳っていた規制者は、連邦及び州経済省と連邦カルテル庁でしたが、自由化後、(送電ネットワークへの接続条件や託送料監視からスタートした)BNAに今回インフラ投資に関する権限が追加されたことにより、連邦カルテル庁が主役の座を降り、BNAにとってかわられたといっても過言ではなさそうです。
1.3. 町の様子
街にでるとAdvent(降臨節)真近だったこともあり、いずれの町もマルクト(いちの立つ広場)界隈は、クリスマス市の準備の真っ最中でした。ボンのマルクトに面したレストランEm Höttcheの店内飾りつけにサンタの帽子をかぶったベートーヴェン胸像があり、モーツアルト・ファンの私も、思わず携帯電話カメラのシャッターを押しました。
1975~1976年家族とのケルン滞在のうち後半暮らしたEhrenfeldを歩きました。「エネルギー法」研究の啓示を受けた聖フランシスコ病院は昔ながらのたたずまいです。住まいは戦災で焼け残った古アパートで、今回、周囲は新しく建て替えられています。隣のアパートを含む2軒だけがボロ・アパートのままひっそり残され、懐かしさよりむしろ、何ともいえない寂しさを感じました。ケルン中央駅を通る市電5系統の路線はそのままですが、Takuplatzの停留所は廃止されていました。
2. 国内学会出張
2.1. 租税法学会
10月14日(日)「租税法学会」のため名古屋に日帰り出張しました。シンポジウムは「リスクと税制」という興味深いタイトルです。強引に法と経済学のリスク論を震災・津波にも適用しようという試論の報告があり、発言用紙に同報告への質問のほか、「上記モデルが妥当するのは限られた条件下であって、その妥当領域は限定されるのではないか」とコメントを書き添えました。ところが司会者から「発言は質問だけ」と釘をさされ、肝心の論点は封印されたまま終わりました。
総会で会費大幅引上げが決まりました。会員名簿管理と開催通知の事務委託だけのために学会支援機構に会費の主要部分を吸い上げられる状況も聞かされました(理事当時の記憶では、日本公法学会も同様のはずです)。明年4月から完全年金生活ですが「生涯現役研究者」を続けるための研究費(書籍購入・出張旅費・学会費等)全額年金から自弁のため、限られた原資の使途の吟味が重要です。
租税法研究者にとって学会誌込みの会費は魅力的でしょうが、私のような外様にとり、毎年送付される学会誌の自宅収納スペースを考えると善し悪しです。加えて本年改訂の租税法判例百選執筆から外れ「戦力外通知」を受けました。そこで、創設以来の会員ながら、明年3月の明治学院大学退職を機に「退会」を考えています。
2.2. 日本経済法学会
10月20日(土)甲南大学での「経済法学会」のため大阪に二泊しました。学会では、個別報告で一件、行政法からのコメントをしました。シンポジウム「企業結合」では、ゲスト・コメンテーターの東京大学の大橋弘教授に、市場のダイナミズムに対して経済的分析をどう機能させるかについて質問しました。大橋教授には、エネルギー、情報通信等の勉強会で幾度か顔をあわせており、経済学モデルに拘泥しないその客観的で冷静で柔軟な分析にはいつも感銘を受けています。本日付の日本経済新聞1及び27面によれば、大橋教授が「第三回円城寺次郎記念賞」を受賞されたとのこと、まことに喜ばしいことですし、まさに当然の受賞だとも思います。
3. 審議会等活動
旧郵政省時代からの情報通信審議会及び情報通信行政・郵政行政審議会の専門委員を継続しています。前者は明年1月任期更新の内示を受けています。高レベル放射性廃棄物最終処分事業の「原子力発電環境整備機構」情報公開等適正化委員会は、開店休業が続いています。それ以外のエネルギー関係の審議会等は、相変わらず無縁です。従来からの研究会に加え、公益事業学会(理事。元・副会長)の公益事業政策研究会(主査・一橋大学山内弘隆教授)に加えてもらい、電力自由化の最近の動向を勉強しています。
4. カラオケ
10月の経済法学会出張の折に大阪で2夜カラオケに行き、従前の持歌のほか、芦田愛菜「雨に願いを」(=日テレのドラマ主題歌)、板野友美「十年後の君へ」、AKB48「ヘビー・ローテーション」「エブリデイ・カチューシャ」「上からマリコ」「フライング・ゲット」、NMB48「ナギイチ」、西野カナ「たとえ どんなに・・・」「私たち」、長淵剛「ひとつ」、きゃりーぱみゅぱみゅ「ツケマツケル」等、新たに仕入れた曲を披露しました。
5. 明年の計画
明2013年3月、69歳(68歳定年プラス1年)にて明治学院大学を退職します。とりあえず在職中は授業・試験・採点等のあと研究室退室のための片付け作業があります。まだまだ若者に議論でも負けませんが、本日現在、いずれの大学からも来年度授業の依頼はありませんので、このままいけば、4月以降教壇に立つことはなくなります。「4月以降何をするの?」。ドイツでProf. Schmidt- PreußやDr. von Burchardからも質問を受けました。自宅「老前整理」を継続しますが、派手に散らかしているので、1年やそこいらでは完了しません。とはいえ片付けばかりでは頭がぼけ面白くないので、そのかたわら、明年前半は、急ぎの宿題(斎藤教授献呈論文、学位審査等)片付けに注力します。明年後半あたりから、そろそろライフワーク「3・11以降の日本エネルギー法」に着手します。当面のテーマはアンバンドリング論。主として電力をとりあげ、比較法・制度・政策に経済・社会・政治的分析も加えた総合的研究をイメージしています。このテーマだけでも目鼻がつくのに3~5年はかかるとみています。
「では、良きクリスマスと新年をお迎え下さい」。